鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

透明性の高さが健全性の高さ

先日、たまたま機会があって、平成

12年ころにベストセラーとなった、

チーズはどこへ消えた?

( http://amzn.to/2ttyWf8 )という

本を読みました。


物語のあらすじは、2匹のねずみと

2人の小人が迷路の中で暮らして

いて、いつも誰かが置いてくれる

チーズがなくなったというところ

から始まります。


そして、物語の示唆するものは、

チーズ(仕事や財産)は、いつなく

なるか分からない。


だから、常に変化に対応しようと

いうものです。


これは、全世界で2,400万部が

発行されたベストセラーとなった

そうです。


内容については、私も大いに同感

できるものですが、とはいえ、

真新しいものではありません。


このような示唆は、これまで多くの

人々によって行われてきており、

最も知られている例としては、

進化論で著名な英国の自然科学者

ダーウィンの「最も強い者が生き

残るのではなく、最も賢い者が

生き延びるのでもない。


唯一生き残ることが出来るのは、

変化できる者である」という言葉

でしょう。


ただ「チーズはどこへ消えた?」が

ベストセラーとなったのは、それを

子どもにも理解できるように分かり

やすい物語としたことでしょう。


ところで、この本は、私が銀行に

勤務しているときに、役員の方から

薦められて読みました。


平成12年と言えば、山一ショックの

直後で、金融機関は大きな曲がり角を

迎えていて、なおさら変化に対応する

能力を銀行が求められていたときです。


だからこそ、その役員は職員に対して

この本を読むことを薦めたという

ことは想像に難くありません。


そして、私と同様に「チーズはどこに

消えた?」を読んだ私の元同僚は

たくさんいました。


しかし、その後、銀行は変わったかと

いえば、あまり変わらなかったと

感じています。


まったく変わらなかったとはいわない

までも、「変わることが大切だ」と

いう価値観が会社の中で多くを占めた

かといえば、そうではないと私は

感じていました。


なぜ変わらなかったのかといえば、

私はその原因は大きく2つあると

思っています。


そのひとつは、トップが変わらな

かったからだと思います。


要は、トップにある人は、得てして、

変化は大切だといいつつ、本音では

自分の都合のいいように部下が

変わって欲しいと望んでいるだけ

であり、自らはあまり変わろうと

しないと私は考えています。


ただ、この話はあえてここで私が

指摘するほどのものではないので

もうひとつの原因を述べると、

それは意思決定の過程が透明で

ないからだということです。


もし、自分なりに変化が大切だと

思って行動した人が、変化を

望まない人たちの抵抗に遭って

失敗したときに、失敗したという

事実だけで評価されてしまうと

いう恐れがあると、新しい価値観で

行動することは大きな抵抗がある

でしょう。


いわゆる、屋根にのぼったら梯子を

外されるということがないように

なる環境になっていなければ、

新しい行動をする人は現れにくい

でしょう。


そこで、新しい価値観で行動した

人が変化を望まない人たちに抵抗に

遭わないようにするために、意思

決定の過程が透明にならなければ、

トップが「変化することは大切だ」と

叫んでみても、効果はないと私は

考えています。


中小企業ではありませんが、過去に

不祥事を起こした大企業では、内部

通報が握りつぶされているという

例が、その典型例だと思います。


そして、結論としては、会社の運営に

ついて、透明性が低くなっている

会社というのは、実は会社の状態が

危ないことの兆候だと私は考えて

います。


これを言いかえれば、透明性を維持

することができなくなってきた

会社は、解決しなければならない

課題を後回しにしているという

ことを自ら露呈しているものだと

いうことです。

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170717214402j:plain

会計リテラシー

あまりよい例ではないのですが、

貸手責任というと、私は、東日本

大震災の直後の、当時の国務長官

発言のことを思い出します。


すなわち、「銀行の電力会社への

債権放棄が賠償支援法案提出の条件

となる」という主旨の発言を後日

撤回したことです。


(ご参考→ https://goo.gl/3dAiXi


これは、銀行が債権放棄をすべきか

どうかということよりも、政府が

銀行に債権放棄を求めるという

ことは、政府は電力会社の株主にも

責任を求める意図があるのかという

ことで議論が沸き起こりました。


結論として、その国務大臣は発言を

撤回したので、政府は株主の責任を

求める意図はないということが

分かりました。


ただ、これは確認はできないの

ですが、当時の国務大臣は、単に、

銀行に対してだけ債権放棄によって

負担を求めようとしたものの、銀行の

債権放棄は株主責任を果たすことが

前提という知識がなかったために、

後からそれに気づいて発言を撤回した

のではないかと私は考えています。


ここで、「銀行の債権放棄は株主

責任を果たすことが前提」と書き

ましたが、このことを理解され

ない方もいらっしゃると思います。


銀行も株主も会社に対してお金を

提供しているという点では共通

していますが、銀行よりも株主の

方が関与の度合いが大きいという

ことです。


株主と銀行の最大の違いは、株主は

株主総会に出席して議決権を行使

することができることです。


いわば、会社の当事者(=オーナー)

でもあるということです。


一方、銀行は会社の業績見て融資

するかどうかを決めることはできる

ものの、融資した後は、著しく業況が

悪化した時に融資を返済することを

請求できること以外は、会社の事業

運営に関与することはできません。


もうひとつの違いは、株主の利益は

業績に左右されるということです。


会社の業績がよいときは、それに

応じて多く配当金を受け取ることが

できますが、悪いときは配当が

減ったり無配当になったりします。


一方、銀行は会社の業績に左右

されず、最初に約束した金利

受け取ることができます。


(ただし、会計的には、会社の

業績が悪化したときに、銀行は

貸倒引当金を計上するという

ことがありますが、これは、

銀行の一方的な行為であり、

銀行と会社の約束に基づくもの

ではありません)


話しを戻すと、会社に対して

お金を提供しているという点で

共通している銀行も株主も、

それぞれリスクを抱えてお金を

提供していますが、リターンが

大きい株主は当然にリスクも

大きくなるわけです。


そこで、銀行の責任が債権放棄を

するという行為でリスクが顕在化

するのであれば、銀行よりも責任が

大きい株主は当然に株主としての

地位を失う(出資金が戻らなくなる)

という責任を負うことになります。


前述の国務大臣の、銀行は債権

放棄をすべきという発言は、

電力会社へ出資している投資家

からは、自分たちにも責任を

負わせようとしているのかと

受け止められたわけです。


今回お伝えしたいことのひとつは、

このような会計上の論理を、実は

理解している人は意外と少ない

ということです。


前述の国務大臣は弁護士資格を

持っている方なのに、このような

ことも分からなかったのかと

私も当時は驚かされました。


ただ、是非はともあれ、私が

銀行勤務時代やフリーランス

なった後も、会計リテラシー

持たない経営者の方には多く

会ってきており、それが現実で

あるということは認識しています。


京セラ創業者の稲盛和夫さんも、

かつては会社の経理担当者に、

「決算書に書いてあるこの

資本金は会社のどこにあるのか」

という恥ずかしい質問をしたと

おっしゃっておられました。


できれば、経営者の方は、会社を

管理する立場にあるので、会計の

知識は持つべきであると思うの

ですが、なかなかそのようには

いかないでしょう。


ただ、問題なのは、銀行職員の

説明を理解しようとしない

経営者の方も希に見られると

いうことです。


例えば、次のような場合に、

銀行の考え方を経営者の方に

理解してもらえないことが

あります。


(1)減価償却費を減らして

表面的に黒字となっていても、

銀行は不足する原価償却費を

利益額から控除した額を真の

利益とみなす。


(2)回収不能な資産、または、

不稼働資産がある場合は、その

帳簿価格を純資産から控除する。


(3)利益額が減少、または、

赤字を計上しているときは、

債務者格付けが下がり、融資

利率を上げることになる。


経営者の方からすれば、日々、

事業の運営に懸命に取り組んで

いるのに、銀行は数値ばかりに

とらわれていて、無機的に自社を

評価されるのは納得できない

という思いもあるでしょう。


とはいえ、銀行の示す理屈は、

決して銀行の独り善がりの論理

ではなく、会計の世界では一般的

であるということも事実です。


そして、上場会社は、銀行よりも

投資家からより厳しい視線で

会計上の評価を受けています。


一般的な中小企業は投資家からの

出資は受けていませんので、それを

意識する必要はありませんが、

銀行の見解を否定的に受け止める

よりも、第三者からの自社の評価を

知るための判断材料として受入れる

ことが、前向きな改善の活動に

つながると私は考えています。

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170715163146j:plain

あえて1番にならない

私はこれまで、会社の業績を高める

には、部分最適ではなく、全体最適

目指すようにしましょうと伝えてきて

います。


部分最適とは、会社の一部の都合を

優先させることで、全体最適とは

会社全体の業績がうまく行くように

考えて意思決定することです。


ただ、このような表現ですと、

独りよがりはいけないという

道徳的な意味で解釈されてしまい

そうですが、単に、道徳的に他人を

慮っても、業績があがらなければ

意味はありません。


ここでの全体最適とは、限られた

経営資源をどのように配分する

ことが最大の利益を得られるかと

いう資源配分の仕方を指して

います。


話しがそれますが、実は、この

資源配分もまったく根拠なく

行うべきではありませんが、

資源配分が適切であったか

どうかということは、事後的に

かるということもこの全体

最適を実現させることが難しい

要因となっています。


資源配分について、簡単な例を

しめします。


従業員数が100人、小売業を

営むある会社が、A市、B市、

C市にそれぞれ店を持っていると

します。


A市のA店は50人、B市のB店は

30人、C市のC店には20人の

従業員が働いています。


ここで、B店の位置するB市は人口が

増加しており、同社も販売を強化

すべきと判断し、A店からB店に

10人を異動させたとします。


その結果、B店の売上は1,000

万円増加したものの、A店の売上は

1,200万円減少してしまい

ました。


この場合、A店の従業員10人を

B店に異動したことは失敗だったと

言えます。


もしかしたら、A店から6人を、

C店から4人を異動させることが、

両店の店の売上を減少させる影響が

少なく、それが正解だったといえる

かもしれません。


よく、「オンリーワン企業を目指せ」

ということを主張する方がいるし、

そのようなことをすると、従業員の

方の士気も向上するので、1位を

目指そうと考える方は多いと

思います。


前述の、B店に10人を異動させる

という判断は、B市でのこの会社の

売上を1位にしようという意図が

あったのかもしれません。


この結果も長期的に判断すべきこと

なのですが、ある分野で1位をとる

ことが、会社全体にとって、最大の

利益を得ているとは限らないという

ことも勘案しなければなりません。


中小企業であっても、オンリー

ワンの技術や製品を持っている

会社はたくさんありますが、

割合としては、少ないと思います。


そこで、経営資源の少ない会社は、

あえて1位を目指さないという

ことが、そのための労力を温存でき、

会社全体としては利益を得られる

ということもあると私は考えています。


経営者の方の中には、1位の分野が

欲しいという思いを持つ方も多いと

思いますが、弱者の戦略である、

フォロワーのポジショニングも

お薦めしたいと私は考えています。


これは、中小企業ではないのですが、

かつて、Panasonicは、

他社製品を模倣した製品を製造して

業績を伸ばし、旧社名の 松下電器

産業をもじって、「マネシタ電器」と

揶揄されて呼ばれることがあり

ました。


しかし、これは確かに模倣された

会社としては悔しいことですが、

それ以外の会社からは、新製品を

開発する費用や、新たな製品を

市場に投入して失敗するリスクを

回避し、経営資源を温存できる

賢明な戦略であると評価されて

いる戦略でもあります。


経営資源の小さな中小企業であれば

こそ、この模倣戦略で経営資源

温存するという戦略は、さらに

効果の高い戦略であると私は考えて

います。

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170715090421j:plain

利益を増やすには

私が事業の改善のお手伝いをする

ときは、どうすれば利益を増やす

ことができるのかということを、

クライアントの経営者や幹部の

人たちと考えます。


とはいえ、基礎的な方針は、どの

会社も同じです。


それは、商品の価格を値上げする

ことです。


しかし、「値上げできるような

状況であれば、すでに値上げを

している」と考える方が多いで

しょう。


確かにそうなのですが、一方で、

ランチェスター戦略を実施

しませんか?」という提案を

受けると、「それならやって

みよう!」という気持ちになる

方も多いと思います。


では、なぜ、ランチェスター

戦略がよいのかというと、

ランチェスター戦略は弱者の

戦略だからです。


弱者の戦略とは、局地戦、接近戦

などを指します。


では、なぜ、局地戦、接近戦がよい

のでしょうか?


これは、弱者でも強者に勝つことが

できる戦略だからです。


では、なぜ、局地戦、接近戦は

強者に勝つことができるので

しょうか?


それは、局地戦、接近戦は強者には

実行できないからです。


では、なぜ、局地戦、接近戦は、

弱者にしかできないのでしょうか?


それは、きめ細かな活動は、弱者で

なければできないからです。


では、きめ細かな活動は、なぜ、

有効なのでしょうか?


それは、顧客が求めているもの

だからです。


では、顧客が求めるものとは

どういうものでしょうか?


それは、値上げをしても買いたいと

思うものです。


こう考えると、ランチェスター戦略は

値上げをするための戦略であると

いうことです。


ただ、ここで、「ランチェスター

戦略を実施して、値上げをすれば

よい」と、安直に述べようとは

考えていません。


「顧客の求めている、きめ細やかな

活動」は、口で言うほど簡単では

なさそうです。


先ほど、「きめ細やかな活動は、

弱者でなければできない」と書き

ましたが、弱者は、必ずしも

きめ細やかな活動を実践できる

水準の成熟度に至っている会社で

あるとは限りません。


冒頭の「値上げできない」会社とは

そういう会社と言えるでしょう。


今回の結論は、事業は「もの」で

勝負できる余地は少なくなってきて

おり、「売り方」や「製品の効用」と

いった「こと」で勝負しなければ

ならなくなってきているという

ことです。


これは、文字にすると当然と感じ

られることですが、意外と、強者

(大企業)と同じ商品や製品を

同じ売り方で売ろうとしていて、

競争に敗れている中小企業は多いと

私は感じています。


まず、このことに気づくことが、

事業の改善の第一歩であると

私は考えています。


近年は、AIやIoTなどが普及して

きており、大企業であっても弱者の

戦略をこれらによって実現させようと

してきています。


中小企業もあまり残された時間は

ありません。

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170714121421j:plain

創業の準備はものだけでは足りない

創業後に、当初の計画より事業がうまく

いかない会社の経営者の方から、よく

相談を受けます。


その原因は、売上が見込みより少ない

ことや、他社との競合が予想より

厳しいということがあげられます。


そして、もうひとつは、創業段階での

準備は、「もの」が中心になりがちだ

ということも挙げられると感じて

います。


会社の経営資源は、改めて言及する

までもなく、「ひと」「もの」

「かね」ですが、創業するときの

準備は、主に「もの」に偏りがちに

なってしまうようです。


具体的には、商品や材料の仕入

店舗や工場の取得または賃借、設備や

備品の取得などです。


もちろん、「かね」の面では、

創業のために必要な融資を受けたり、

「ひと」の面では従業員を雇ったり

します。


しかし、融資を受けても、さらに

事業が拡大していったときのために、

追加融資を受けられるよう、開業した

ときからその準備をする方はあまり

見ません。


もし、開業後に追加融資が必要に

なった時は、その時点で慌てて資料を

そろえたり、手続きを始めたりします。


従業員の方についても、雇うこと

まではしても、開業後にどういう

スキルを身に付けて欲しいかという

ことを示す人財育成方針などが作成

されていなかったり、給与に関する

規定なども作成されていなかったり

するために、従業員の方の育成が

遅れたり、士気が下がってしまったり

します。


確かに、「事業」は「もの」が

そろっていれば動くので、時間を

惜しんで創業の準備をしている

ときは、とにかく最低限のこと

だけをしようということになって

しまうのでしょう。


しかし、経営資源の「もの」が

そろっただけでは、競争力の高い

事業は実現しないでしょう。


きちんとした人財を育成し、また、

円滑な資金調達ができなければ、

早晩、会社の事業は行き詰ります。


ここで、「巧遅は拙速に如かず」と

いう孫子の言葉を引き合いに出そうと

する方もいることでしょう。


確かに、孫子は、うまくことが運ぶ

ようにするために時間をかけるよりも、

あまりうまくいかなさそうであっても、

ことを速く進めるべきと説いています。


ただし、これは、戦時に、自国の

被害を増加させないようにするための

考えであり、決して「拙速」を奨励

しているわけではなさそうです。


話しを戻して、事業を始めるという

ことだけを考えれば、「もの」を

そろえれば始められるでしょう。


でも、それを競争力の高い事業に

するのであれば、きちんと「ひと」や

「かね」も準備をしなければなり

ません。


結論としては、「もの」を準備する

だけでは、当然、事業は行き詰ります。


「もの」だけに目をとらわれず、

「ひと」や「かね」についても

きちんと準備する必要があるという

ことです。


そして、創業の段階で、「会社経営」

とは「事業運営」だけではなく、

「ひと」や「かね」も含めてマネジ

メントできるようにする必要がある

ということをきちんと認識しておく

ことも大切です。

 

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170713173454j:plain

社外コミュニケーション

私が、銀行勤務時代、および、

コンサルタントとして活動している

ときを通して、「銀行は自社のことを

よく理解してくれない」という不満を

持つ中小企業経営者の方と多くお会い

してきました。


結論から述べると、そのような

経営者の方たちは、銀行職員に対して、

自社の従業員の人たちと同じ程度に

自社の事情を知っていて欲しいという

要望を持っているようです。


銀行職員も、なるべく経営者の方の

要望に応じることができるように

努めてはいますが、常に会社にいる

わけではない人が、その会社の

従業員と同じ知識を持つことは

現実的には不可能です。


このことについては、理解され易い

ことだと思いますが、経営者の方が

銀行に対して自社の状況を説明

しようとすると、やはり「銀行は

もっと自社のことを知っていて

くれれば、説明が楽になるのに」と

感じてしまうのでしょう。


ただ、このような認識のギャップは、

経営者と従業員の間でも起きること

です。


経営者としては負担を感じるかも

しれませんが、自社のことは、

努めて詳しく説明しなければ、

聞き手はきちんと理解してもらえ

ないという前提で話をするしか

ないでしょう。


もうひとつは、経営者と銀行では、

視点が「真逆」ということです。


「真逆」というのは、当然なの

ですが、自社の事業はうまくいくと

考えて事業運営に臨んでいます。


ところが、銀行の立場としては、

融資先の事業について、「うまく

行くと社長が説明した」という

ことを融資稟議書に書いただけでは

承認はもらえません。


なぜうまく行くのかという客観的な

説明が必要です。


これについては、数字に落とし

込んでまで検証している会社は

少ないようです。


経営者(だけでなく、一般の人も

そのような傾向がありますが)は

頭の中でうまく行くと納得して

しまえば、それだけで意思決定を

しがちです。


そのため、その根拠を銀行から

尋ねられると、「なぜ、銀行は

自社のことを理解してくれないの

だろう」と不満を感じてしまうの

かもしれません。


これについても、前述の通り、

コミュニケーションは労力の

かかるものであるという前提で

臨むしかないと私は考えています。


しかも、それは、大きな組織の

上に立つ人ほど感じるものである

ということも認識することが肝要

でしょう。


さらに付け加えたいこととして、

自分の考え方を検証することも

大切だということです。


検証とは、具体的には、顧問

税理士、外部の専門家、取引

銀行などに評価してもらうと

いうことです。


いわゆるオーナー会社では、

会社の経営方針は社長一人で

決めていることでしょう。


だからこそ、その方針に間違いは

ないかということを検証する

必要性は高いということです。


しかし、これは、自社の状況を

銀行に説明すること自体が負担と

感じている人が、さらに検証まで

するということは、実際には

少数でしょう。


むしろ、他人に口出しされたく

ないから会社を起こしたのに、

わざわざ口出しをしてもらう

ようなことはしたくないと

考える方も多いでしょう。


そして、前述のように「自社の

事業はうまく行く」と考えて

しまっていると、もし、自分の

事業構想に落とし穴があった

ときは、不幸な結果に至って

しまいます。


もちろん、経営者の方が単独で

考えた方針どおりに事業を進めた

結果、事業が成功するという

ことも多いでしょう。


ただ、事業規模が大きくなるに

つれ、自社の方針の精度は高く

ならなければなりません。


経営者はそこまでやらなければ

ならないのかと考える方も多いと

思いますが、もし、そこまで

できるようになれば、冒頭の

「銀行は自社のことをよく理解

してくれない」という不満が

出てくる機会はなくなるでしょう。


結論としては、銀行に対して自社の

ことを理解してもらうために、

社外に向けたコミュニケーションを

円滑に行うことは、面倒なことでは

なく、それこそが経営者の本来の役割

であると認識しなければならないと

いうことです。

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170711135103j:plain

社員が社長をリークできる会社

広島県に株式会社21という眼鏡を

販売している会社があります。


http://www9.two-one.co.jp/


この会社は、たくさんの報道機関が

同社のユニークな経営方針を報道

しているので、すでにご存じの方も

多いと思います。


この会社で私が最も興味を持った

ことは、同社のWebPageに

「株式会社21の経営陣が悪事を

働けば正義感を持つ社員がリーク

します。


更に21の社長が多額の費用を

掛けて外部監査機関に依頼すれば

社長に不利な監査を行わない恐れが

有りますので、公正な監査や順法

指導と経費削減を兼ねて厳正な

税務官や審査官に官費で委ねて

います」と書かれていることです。


「社員が社長をリークできる会社」は

珍しいと思います。


では、なぜ社員が社長をリークする

ことができるのかというと、社員は

会社のすべての会計データを閲覧する

ことができるからです。


社長や同僚の給料もガラス張りです。


とはいえ、社長の年俸は1,000

万円を超えないそうであり、かつ、

成績次第では社長より高い年収を

もらう社員もいるそうです。


そして、なぜ会計データをガラス

張りにしているかというと、同社は

社員の社内預金を運転資金にして

事業を営んでいるからです。


社員からお金を預かる以上、経営者が

きちんと会社を経営しているかを

示す必要があるため、会計データを

社員に公開しているのです。


すなわち、社員は株主ではないものの、

株主に近い立場にあるということです。


このようなことをする利点は、主に、

ふたつあると思います。


ひとつは、組織に属していると、

必ずしも自分の意見が通るとは

限りませんが、会社の会計データが

透明であれば、仮に、自分の意見が

採用されないことがあっても、

それは、決して不公平であるとは

感じなくなるということです。


冒頭にある通り、もし社長が悪事を

働けば、社員はそれを知ることが

でき、そしてリークできるからです。


ふたつめは、社員が会社に関心を

持つということです。


会社の会計情報が公開されていな

ければ、会社の資金繰や利益に

ついて、社員が関心を持つ余地は

ありませんが、社員は自分の預けた

お金がきちんと使われているか

どうかということを関心を持って

見ることになります。


そして、自分の預けたお金が事業に

使われているからこそ、会社への

帰属意識も高くなり、積極的に働く

ようにもなるでしょう。


そして、今回、私がお伝えしたい

ことは、安直に、株式会社21の

ような経営を導入しましょうという

ことではありません。


会計データの透明化の前に、

月ごとに自社の収支状況を確認する

ことさえしていなければ、透明化も

できません。


よく、会計データの集計は後回しに

されがちですが、「マネジメント」の

観点から、会計データが重要だという

ことが、株式会社21の例からも

わかるでしょう。


精度の高い経営をするには、会計

データの活用は避けて通ることは

できません。

 

 

 

 

f:id:rokkakuakio:20170710173347j:plain