鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

社外取締役

最近、社外取締役が注目を浴びています。


その最も大きな要因は、平成27年から、

上場会社に対して、コーポレートガバナン

ス・コード(上場企業が守るべき行動規範

を示した企業統治の指針)が適用され、そ

れによって、社外取締役を2人以上置くこ

とが規定されたからでしょう。


ただ、そもそもコーポレートガバナンス

コードが定められたことの背景のひとつに

は、上場会社の不祥事が多発していること

があり、そのような状況が社外取締役の活

用によって解消されることが期待されるよ

うになったのだと思います。


社外取締役は、会社法に定義されています

が、簡単に言えば、就任時点で、そこから

過去10年の間に、その会社の役員・従業

員でなかった取締役で、社内のしがらみに

とらわれずに、独立性の高い活動をするこ

となどが期待されています。(※)


ただ、私は、この社外取締役の制度は形骸

化すると考えています。


前述の通り、上場会社は、社外取締役を置

かなければならなくなりましたが、その一

方で、その責任の重さから、就任を受け入

れてくれる人がなかなか見つからない状況

にあります。


なぜ責任が重いかというと、社外取締役

あっても、社外取締役でない取締役と同様

に、株主から責任を問われる立場にあるか

らです。


そこで、社外取締役に就任してもらいやす

くするための制度として、社外取締役の責

任を軽減できるようにする責任限定契約制

度が設けられました。(※)


ちなみに、社外取締役の責任の限度額は、

契約額か報酬の2年分のいずれか多い額

までです。(※)


本題に戻って、私が、なぜ、社外取締役

制度が形骸化すると考えているのかとい

うと、この責任限定契約制度があるから

です。


同じ取締役であっても、取締役会で意見

が対立したときは、責任限定契約のない

取締役と責任限定契約のある取締役の間

では、おのずと発言権の大きさも変わり

ます。


そこで、もし、社外取締役が、責任限定

契約によって責任が軽減されている場合

は、その期待されている役割を果たせな

くなる可能性が高くなります。


もちろん、責任限定契約があるからと

いって、社外取締役がなんら効果がない

とまでは言えませんが、限界があるとい

うことは間違いないでしょう。


ただ、私は、「社外取締役制度は形骸化

するであろうから、無意味だ」と批判す

るつもりはありません。


そもそも、日本には、社外取締役制度は

なじまないと思います。


なぜなら、株式会社は表向きは株主に主

権がありますが、実態は、従業員と、そ

の従業員から昇格した役員や社長が、会

社の最大のイニシアティブを握っている

からです。


ですから、社外取締役が、内部昇格者の

役員と同等に取締役会で発言し、かつ、

責任も負うということは、そもそも困難

な状況にあります。


そのような状況であるにもかかわらず、

社外取締役を就任させても、表向きには

健全性な運営をしているようにアピール

はできても、「名ばかり社外取締役」に

なってしまう可能性が高いと私は考えて

います。


では、どうすればよいのかということに

ついては、文字数の兼ね合いで、別の機

会にお伝えしたいと思います。


もうひとつ、社外取締役に関しての誤解

についてお伝えしたいと思います。


それは、米国では社外取締役が多いが、

日本では少ないという批判です。


これは、前提条件を理解していないこと

によって起きる批判です。


米国の経営者は、一般の従業員の300

倍の年収を得ていると言われています。


一方で、日本では、上場会社の社長でも

一般の従業員の年収の10倍程度と言わ

れています。


なぜこのような差があるのかというと、

極端な表現をすれば、米国では、経営者

が自らの収入を増やそうとして、自らの

在任している期間だけ会社の利益を増や

そうとする行動をとっているからです。


そこで、経営者が極端に利己的なことを

しないよう牽制することを主な目的とし

て、株主が社外取締役を送り込んでいる

わけです。


そのため、社外取締役が日本より定着し

ています。


したがって、日本で期待されている社外

取締役の役割と、米国の社外取締役の役

割は異なるということに、注意が必要で

す。


(この記事で、※印のついた文章につい

ては、分かりやすさを優先し、正確性を

犠牲にしておりますので、あらかじめご

ご了承ください)

 

 

 

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行動経済学

グロービス経営大学院で講師を務めておら

れる溜田信さんが、ポッドキャストで、行

動経済学についてお話しされておられまし

た。


(ご参考→ https://goo.gl/o29nkn


そのおおよその内容は、次の通りです。


すなわち、「あなたにこの千円札をあげま

すが、その千円札を隣にいる人と話し合っ

て分け合うことが条件です。


きちんと話し合いができたなら、この千円

札をあなたにあげますが、話し合いがつか

なければあげません」と言われたらどうす

るか、というものです。


そうすると、多くの人は、1,000円を

どう配分することがよいかと考えてしまう

ようです。


しかし、純粋に千円札をもらうにはどうす

ればよいかということだけを考えるのであ

れば、自分が1円、相手に999円で分け

ることも正解になります。


ただ、実際には、人は、純粋な解決策を採

ることは少なく、他の人との関わりを判断

の要因に入れてしまっているようです。


これと似た例として、私は、イギリスの高

級ブランド、バーバリーへの批判を思い起

こします。


(ご参考→ https://goo.gl/eLo3VR


ハフィントンポストによると、同社は、

2017年、衣料品やアクセサリー、香水

など2,860万ポンド分(約41.8億

円)の売れ残り商品を焼却処分し、過去5

年間では、9,000万ポンド(約130

億円)分の商品を廃棄していたそうです。


これに対して、「環境保護活動家などから

は、なぜチャリティー団体に寄付しないの

かなどと批判があがっている」そうです。


また、詳細は割愛しますが、日本の食品業

界の慣習となっている3分の1ルールが、

バーバリーと同様の構造で批判を浴びてい

ます。


(ご参考→ https://goo.gl/4HWhgF


私は、バーバリーや日本の食品業界の考え

方は、ビジネスの価値観では正しいと思っ

ています。


でも、ビジネスの対象である顧客や社会

は、ビジネスの価値観とは異なる価値観を

持っており、その価値観でビジネスを評価

します。


では、どうしたらよいのかということなの

ですが、私は明確な結論を出せないでいま

す。


ただ、現状としては、ビジネスの価値観に

軸足を置きつつ、顧客や社会の価値観にも

寄り添うという対応をしていく他はないの

ではないかと思っています。


今回の記事の結論は、経営者の方は、社会

にはいくつかの価値観があるという前提で

事業に臨むべきということです。

 

 

 

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借りたお金を返すことはあたりまえ

「借りたお金を返すことはあたりまえ」と

いうことは、文字通りあたりまえです。


しかし、希に、「銀行から借りたお金は返

さなくてもよい」と考えている会社経営者

の方に会うことがあります。


もちろん、例外があります。


それは、銀行に悪意があったり、銀行とし

て尽くすべき注意義務を怠ったりしたこと

で、融資を受けた側が損害を受けた場合

で、そのような場合は、融資額の全部、ま

たは、一部を返済しなくてもよいでしょ

う。


確かに、そのような悪意のある銀行の被害

を受けた方もいます。


でも、そのような例は極一部であり、多く

の事業性融資は、融資を受けたいという申

し出に応じて銀行が融資をしているので、

きちんと返済する義務があります。


それでも、銀行に融資を返す必要はないと

主張する会社経営者は、「銀行には貸手責

任がある」と主張します。


貸手責任ということばには、明確な定義は

ありませんが、一般的には、貸手の判断で

行った融資が返済されなかったとき、その

損失は貸手が被らなければならないという

ことでしょう。


話がそれますが、日本で貸手責任というこ

とばが使われるときは、多くは、融資を行

う際に、銀行がきちんとした説明をする責

任を怠ったとか、銀行が悪意を持って事実

と異なることを説明したり、融資を受ける

側に不利となる事実を隠していたりした、

というようなときに使われます。


でも、本来は、銀行が融資審査を行うとき

に、その判断が誤ったことで被る損害を負

うこと、すなわち、信用リスクを負うこと

を指すものでしょう。


話を戻して、確かに、銀行には貸手責任が

ありますが、それは、あくまで会計的な観

点からの信用リスクに対する責任であり、

銀行に貸手責任があることをもって、融資

を受けている側、すなわち借手に、民法

の融資の返済義務がなくなるということで

はありません。


(この文章は、やや難解ですので、もし、

理解できない方は、銀行の責任があるとし

ても、それは融資の返済義務には影響しな

いものであるというように理解してくださ

い)


また、銀行から債務免除を受けた会社があ

るので、自社も債務免除を受けられるよう

にすべきだとお話しする方に会う時もあり

ます。


これは、詳細は割愛しますが、銀行が債務

免除をするときは、確かに銀行が貸手責任

を認めていますが、その前提として、株主

や経営者は銀行より厳しい責任を問われて

います。


すなわち、銀行から融資を免除してもらっ

た会社では、ほとんどは社長は退任し、さ

らに、社長個人のほとんどの私財を会社の

ために提供しています。


ここまで、貸手責任について説明してきま

したが、何を伝えたかったのかというと、

銀行に法令違反や悪意がない限り、銀行の

貸手責任は、融資を受けている側、すなわ

ち借手の責任よりは軽い、どんなに重くて

も借手責任と同等ということです。


世の中には、困っている会社の弱みにつけ

いろうとする人もいるので、銀行の責任だ

けを強調する“専門家”の誤った助言には

ご注意いただき、融資の責任について間

違った理解をしないよう気をつけていただ

きたいと思います。

 

 

 

 

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悪い報告こそ会社を救う

「悪い報告こそ会社を救う」ということは

多くの方がご理解されておられると思うの

で、私があえて説明するまでもないと思い

ます。


ところで、私は、この言葉をきくと、ある

会社のことを思い出しますので、今回は、

その会社のあるできごとと、それに関する

私の考えについて述べたいと思います。


その会社は、私の住まいの隣の街に本社が

あった外食店で、ジャスダックに上場する

までに成長しました。


ところが、平成17年に不適切な会計処理

が行われていることがわかり、その後、大

手の外食産業の傘下に入ることになりまし

た。


(ご参考→ https://goo.gl/LvNZYV


このできごとは、経理担当役員が、社長に

報告することなく、独断で不適切な会計処

理をしたと報告されています。


でも、経理担当役員が、なぜ、そのよう

なことをしたのかという点は疑問が残り

ます。


その役員が、会社のお金を私的に流用し

たのであれば別ですが、社長が望まない

ようなことをしたことには、それなりの

理由があるはずです。


これは、私がひとづてに聞いたうわさな

ので、客観的な証拠がなく、責任を持っ

た記述ではないことをご了解いただきた

いのですが、その会社の社長は、いわゆ

るワンマン社長で、指示したことに対し

て「未達成でした」という報告を受け付

けない人だったようです。


それは、売上目標についてはもちろんで

すが、利益についても、「今期は、これ

だけの利益を計上するように」と経理

当役員が社長から指示を受け、それが実

現できそうになかったために、それを言

い出せず、不適切処理をするに至ったよ

うです。


確かにこれは、うわさにすぎないかもし

れませんが、会計処理を経理担当役員が

独断で不適切に行ったということは、社

長と経理担当役員の関係が、正常ではな

かったということは事実でしょう。


そして、これは私の想像ですが、もとも

と、この会社の業績は芳しくなかったと

はいえ、もし、不適切会計が行われてい

なければ、社長の退任、他社への傘下入

りという事態を避けることができたかも

しれません。


そこで、社長が悪い報告をしてもらえる

ようになるにはどうしたらいいのかとい

うことは、もう、何億回と述べられてき

ているわけですから、ここでは述べませ

ん。


社長にとって、自分の最大の敵は、自分

の中にある慢心であるということを、こ

のような過去の実例を見て、ときどき思

い出していただければと思い、今回はあ

る会社のできごとについて取り上げまし

た。

 

 

 

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目標を暗記する

私はこれまで、高い目標を実現するには、

強い意志が必要という、稲森和夫さんの言

葉を何度もご紹介してきました。


ただ、「強い意志」というものが抽象的な

ので、具体的に強い意志とはどういうもの

なのかということについて触れたいと思い

ます。


稲盛さんは、意志の弱い例として、次のよ

うなことをお話しされておられました。


すなわち、「(かつての京セラでは)月例

会議のときは、皆が、今月の目標値をしっ

かりと発表する。


しかし、会議が終わるとそれらの目標値は

頭から消えてしまうようだ。


そこで、社内ですれ違ったときに、『あの

目標は、いま、どれくらいまで進んでいる

のか?』ときいても、『えーと、えーと』

と、答えに詰まってしまう」というもので

す。


ここまでのお話は、目標を達成しようとす

るならば、まず、目標を暗記するくらいの

ことをしなければだめだということになる

と思います。


ここで、もう少し、この稲盛さんのお話に

ついて考察してみたいと思います。


稲盛さんのお話のように、「意思が弱いか

ら、目標値を暗記できない」と考えること

ができると思いますが、私は、単に意思が

弱いというだけでなく、目標に関心が薄い

ために暗記できないとも思っています。


これは、私にも経験がありますが、毎日、

忙しく過ごしていると、目の前の仕事にば

かり気がとられてしまい、1か月の目標、

1か年の目標が頭から離れてしまいます。


でも、冷静に考えれば、毎日の仕事は目標

を達成するために取り組んでいるのであっ

て、毎日がんばっていても目標が達成でき

なければ、意味はありません。


そこで、日々の活動を有意義なものとする

には、目標が達成できる見込みかどうかと

いうことを、常に念頭に置く必要があるで

しょう。


すなわち、目標管理をしなければ、日々の

がんばりが報われないと考えれば、目標値

への関心が高まり、おのずと暗記できるよ

うになるでしょう。


希に、「目標にとらわれることが嫌だ」と

いう方もいますが、少なくとも、経営者や

幹部クラスの方がそのようなことを考える

ことは論外でしょう。


もうひとつ付け加えさせていただくと、稲

盛さんは、目標を常に頭に入れておくこと

が大切であるということも述べておられま

す。


すなわち、達成すべき目標が頭の中に入っ

ていると、普段の行動(=潜在意識による

行動)が、自然と目標達成のためのものに

なるということです。


このようなことは、多くの方が心あたりが

あると思います。


頭の中に入っていることがらに、普段の行

動が左右されてしまうということは、多く

の方が経験しておられるでしょう。


私の場合、出張中にレストランで食事をと

ると、料理が出てくるまでの待ち時間は、

席数、客単価、滞在時間数、営業時間など

から、そのお店の売上高などを計算したり

してしまいます。


話を戻して、仕事の目標を達成するための

意志を強くするには、(仕事という漠然と

したものに対してではなく、目標を達成す

ることに)関心を持つことが近道ではない

かということが、今回の記事の結論です。

 

 

 

 

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グループウェア

グループウェアときくと、電話やファクシ

ミリのように、いまではビジネスにすっか

り溶け込んでいると感じる方も多いと思い

ます。


ところが、意外なことに、現在でもグルー

プウェアを導入していない中小企業は少な

くありません。


その理由はひとつではありませんが、まず

指摘されるものは、ITリテラシーでしょ

う。


いわゆる鍵盤アレルギーの方は、いまでも

少なくないようですが、グループウェア

導入されない最大の理由は、ITリテラ

シーではないと、私は考えています。


では、何が最大の理由であると私が考えて

いるのかというと、失礼な言い方になるこ

とをお許しいただきたいのですが、より難

易度の高い仕事に挑もうとする意欲を、従

業員の方が持っていないからというもので

す。


端的に言えば、グループウェアは仕事を効

率化するためのツールですが、仕事が効率

的になると仕事の密度が濃くなります。


でも、現在の仕事の密度を濃くされること

はやめて欲しいと考えている、仕事への意

欲が低い人にとっては、グループウェア

のものが嫌なのではなく、それによって、

さらに多くの仕事をしなければならなくな

ることが嫌なのだと思います。


ここで、「それは、意欲のない従業員が問

題だ」と指摘することはできるのですが、

会社では、仮に従業員の方の意欲が低いと

すれば、それは経営者に責任があると考え

るべきでしょう。


この件については本旨ではないので、別の

機会に述べたいと思いますが、情報化など

の導入の失敗の典型例は、この例のように

ツールを導入するだけで効率が高まると経

営者の方が安易に考えてしまうことです。


グループウェアだけであれば、ここまでの

手順は踏みませんが、一般的に情報化武装

をするときは、環境分析→戦略策定→情報

資源調達→導入といった手順を踏みます。


(こちらの記事もご参考になさってくださ

い。→ https://goo.gl/PSShdB


この手順の中で、社内に十分な説明を行

い、合意形成をすることで、情報化武装

成功させることになります。


繰り返しになりますが、単に、ツールを社

内に持ち込むだけでは情報化武装は成功し

ないので、単に新しいツールを使うと考え

るのではなく、新しい戦略を実践するため

に、新しいツールを使うと考えなければな

りません。


話を戻して、私が事業改善のお手伝いをす

るときに、もし、その会社にグループウェ

アが導入されていないときは、それを導入

するようお薦めしています。


それは、すぐに仕事が効率化できるという

理由もありますが、従業員の方に新しいこ

とをしたり、密度の濃い仕事をしたりする

ことは楽しいと考えてもらえるようにする

ためです。


これが成功すれば、次に、本格的に新しい

戦略を実践するために、情報化武装を提案

します。

 

 

 

 

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人生はつりあう

今回の記事は、非論理的な面もありますの

で、ご了承ください。


私は、かつて、稲森和夫さんが次のように

お話しされておられたことを、ときどき思

い出します。


すなわち、稲盛さんが帰依している臨済宗

の教えに因果応報があるが、稲盛さんが若

い時に、自分が懸命によいことをしても、

その報いがあることをあまり感じることが

できないでいた。


逆に、よい行いをあまりしていない人が幸

せになっていると思えるときもあった。


ところが、ある時、稲盛さんの知人が勝手

に稲盛さんのことを占い師に占ってもらっ

て、その内容を伝えてきた。


それによると、稲盛さんは、前の年に大き

な病気を患うことになっていた。


しかし、現実には病気になることはなく、

現在、自分は健康でいる。


それは、きっと、これまでよい行いをして

きたことから、その報いによって災いを防

ぐことができたからであって、単に、自分

がそれに気づかないでいただけだった、と

いうものです。


このお話は、稲森さんがどう感じたかとい

うことであって、稲森さんがよい行いをし

たことによって、大病を患うことを防ぐこ

とができたということを、客観的に証明す

ることはできません。


したがって、因果応報の法則も本当なのか

ということも、証明できません。


しかし、稲森さんは因果応報の法則を信じ

て、それを実践してきた結果、すばらしい

実績を残してきておられるということを考

えると、証明できないからといって、因果

応報の法則を否定するよりも、証明できな

いかもしれないが、それが会社の事業を発

展させるために役立つ考え方だというよう

に理解すれば、多くの経営者の心の支えに

なるのではないかと私は考えています。


人は心が弱い面があり、仕事をしている時

に、「こんなことをしても、どうせ効果が

ない」などと、弱音をはきたくなる時があ

ります。


でも、「会社や社会のためにがんばれば、

必ずその報いがある」と信じることができ

れば、弱気になった状況を乗り越えること

ができると私は考えています。


実は、経営は、宗教、倫理、道徳などと密

接な関係があります。


その代表的な例は、ドイツの社会学者マッ

クス・ヴェーバーが、主著、「プロテスタ

ンティズムの倫理と資本主義の精神」

( https://amzn.to/2Aa760e )に書いた内

容です。


すなわち、プロテスタントが禁欲主義に基

づいて事業活動をした結果、資本主義が発

展したというものです。


人は単独では自分を律することが難しいた

め、神仏の教えにしたがうと考えることに

よって、苦しいことであっても乗り越える

ことができるようになるのでしょう。


私自身も怠け心が強いので、前述の稲盛さ

んのエピソードを、ときどき思い出しなが

ら、怠けないように自分に言い聞かせてい

ます。

 

 

 

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