鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

沢の雉

私がフリーランスになってまもなく、自分

の事業がまだ順調でなかったとき、たまた

ま、セラピストの石井裕之さんの講演で、

沢の雉(きじ)の話しを聴きき、当時、こ

れからどうすればよいかということを悩ん

でいる私にとって、この話が大きな心の支

えになりました。


石井さんからきいた沢の雉の話は、中国の

古典の荘子にあるお話しです。


「沢雉は十歩に一啄し、百歩一飮するも、

樊中に畜わるるを求めず。


神は王なりと雖も、善しからざればなり」


現代文では、「沢辺の野生の雉は、十歩歩

いて僅かな餌をとり、百歩歩いて僅かの水

にありつけるが、それでも籠の中で飼われ

ることを求めない。


籠の中は、餌に困ることはないが、心が楽

しくないからだ」というものです。


このお話しを石井さんがお話ししたのは、

例えばお金持ちになりたいと思っているの

であれば、それなりの心がまえが必要だ。


安定性を求めるのであれば、それなりの収

入しか得られないことは道理であり、その

考え方を変えない限り、収入も増えないか

ら、心を奮い立たせましょうという主旨で

あると思います。


ただ、この石井さんの考え方が絶対的に正

しいということではないと思います。


また、この沢の雉の話そのものも、飼われ

ている雉が劣っていて、野生の雉が優れて

いる、または、その逆であるということを

述べているわけでもないと思います。


では、なぜ、この話が私の心の支えになっ

たのかというと、野生の雉がフリーランス

のことを指すとすれば、「十歩歩いて僅か

な餌」しか得られなくても、籠の中にいれ

ば「心が楽しくない」と書かれていたから

です。


「いまちょっと苦しいのは、フリーランス

だからであり、それは同時に本当は心が楽

しいことなのだ」と、強がることができた

からです。


とはいえ、この雉の話は、よく知られてい

る権限責任一致の原則の例え話とも言うこ

とができ、自由(権限)があるなら、それ

なりの責任もともなうという、当然のこと

を述べている、と考える人も多いと思いま

す。


ただ、自由でいる野生の雉は心が楽しいと

述べているところが、私の励みになったわ

けです。


しかし、今回の記事の結論は、みなさんに

野生の雉のようになりましょうということ

ではありません。


私がこれまでお会いしてきた、自由である

はずの経営者の方の中には、すべてではあ

りませんが、ご自身のことを自由でないと

考えている人もいました。


そのような方が、ご自身を自由でないと考

える理由はいくつかありますが、その代表

的なものは、「とにかく、利益を得るため

には、仕事(顧客)を選んでいられない」

と考えている場合です。


仮に、自分が本当にやりたい仕事をやるこ

とができず、他人から与えられた仕事しか

できないのであれば、それは、表向きは野

生の雉であっても、実態は、他人から餌を

与えられている籠の中の雉と変わらないと

思います。


でも、そのような人は、仕事を選べないの

ではなく、本当は、仕事を選ぶことを放棄

しているのだと、私は思っています。


なぜ、放棄するのかというと、もし、自社

の業績が悪いときに、それが自分の選んだ

事業であれば自分の責任になってしまいま

すが、自分は仕事を選ぶことができないと

いうことにすれば、業績が悪くても自分に

責任ではなく、それは仕事を選ぶことがで

きない環境のせいにすることができるから

ではないでしょうか?


そして、そのように自分の責任に正面から

向き合わない人は、「心が楽しくない」で

しょう。


では、どうすればよいのかということにつ

いては、文字数の兼ね合いから割愛します

が、本来、野生の雉は心が楽しいはずであ

り、自由である(=権限を行使する)こと

から逃げていては、籠の中の雉と同じに

なってしまうということが、この記事の結

論です。

 

 

f:id:rokkakuakio:20171225085712j:plain