鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

知識社会と組織社会

今回は、ドラッカーが四半世紀前の199

3年に世に送った著書である、「ポスト資

本主義社会」( http://amzn.to/2mt8JvL )

で述べている、知識社会と組織社会につい

てご紹介したいと思います。


同書で、ドラッカーは次のように述べてい

ます。


「ポスト資本主義社会は知識社会であると

同時に組織社会である。


知識人の世界は管理者による均衡がなけれ

ば、みなが自分の好きなことをするだけと

なり、誰も意味あることは何もしない世界

となってしまう。


管理者の世界も、知識人による均衡がなけ

れば、官僚主義に陥り、組織人間の無気力

な灰色の世界に堕してしまう。


知識人には道具としての組織が必要であ

り、管理者は知識をもって組織の目的を実

現するための手段と見る」(同書354

ページ)


この文の中で使われている知識社会、知識

人、組織社会、管理者という言葉はドラッ

カーが独自に定義した言葉なので、この文

を読んだだけはドラッカーの意図するとこ

ろは伝わらないと思います。


そこで、その言葉を解説すると、知識社会

とは知識人の社会のことで、知識人とは

門性の高いスキルや技能を持った人と理解

してください。


一方、組織社会とは管理者の社会のこと

で、管理者とはマネジメントスキルを持っ

た人、すなわち専門経営者のことと理解し

てください。


この専門経営者と言われる人たちは、かつ

ては数えるほどしかいませんでしたが、最

近は専門経営者と言われる人がたくさん活

躍しています。


日本では、三菱商事のマネージャーから、

ローソンの社長を経てサントリーの社長に

就任した新浪剛史さんや、日本IBMのコ

ンサルタントから、ファーストリテイリン

グ社長、ロッテリアCEOを経て、ローソ

ンの社長に就任した玉塚元一さんなどが有

名です。


かつて、スターバックスコーヒージャパン

のCEOを務めていた岩田松雄さんも、日

産自動車から、日本コカ・コーラ常務を経

て経営者として頭角をあらわし、ペルソナ

などのゲームを開発したアトラスの代表取

締役に就任し、3期連続の赤字の業績を回

復させたり、イオンフォレスト(THE

BODY SHOP Japan)の代表取締役社長を

経て、スタバの社長に就いています。


ここでお気づきのことと思いますが、専門

経営者は、業種の異なる会社の社長に就い

ているということです。


まだまだ日本では、その会社の属する業界

に精通していなければ、社長を務めること

は難しいと考えている方が多いと思いま

す。


私も、まだそのような状況にはあると思い

ます。


ただ、その比重は年々低くなってきてお

り、事業の成否は経営者の「会社を経営す

る能力」に左右されるようになってきてい

るということです。


かつては創業者が経営者を務めてきたサン

トリーで、新浪氏を社長に迎え入れること

が公表されたときは、社会に大きな驚きを

持たれましたが、これはその象徴的な出来

事と言えるでしょう。


また、銀行業界でも、2003年に、りそ

な銀行の持株会社に就任した細谷英二さん

(故人)は、東日本旅客鉄道出身者である

にもかかわらず、異分野の銀行業において

就任2年後の2005年には、同社の業績

を3,800億円の黒字を計上するまでに

回復させています。


ここで、乱暴な言い方をすると、会社の業

績を向上させるということは、業界に精通

していることが必須条件ではなく、組織を

どれくらい活性化できるかということが問

われているということです。


ここで、ドラッカーの考え方に話をもどす

と、「ポスト資本主義社会は知識社会であ

ると同時に組織社会である」という指摘の

組織社会とは、前述のような専門経営者が

活躍する時代であり、まさに、いまの日本

ドラッカーの指摘している社会になって

いると私は理解しています。


ただ、専門経営者だけがいればよいのかと

いうことでもありません。


事業には、専門性の高いスキルを持った

人、すなわち知識人も必要です。


そして、両者が上手に協力することが大切

であり、それがドラッカーの言う「知識人

には道具としての組織が必要であり、管理

者は知識をもって組織の目的を実現するた

めの手段と見る」ということでなのでしょ

う。


今回の結論は、経営者には、ドラッカー

いう、「管理者」の役割が求められる時代

になってきており、マネジメントスキルが

事業の勝敗を決めると認識することが必要

だということです。

 

 

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