鄙のビジネス書作家のブログ

鄙で暮らす経営コンサルタント(中小企業診断士)・ビジネス書作家六角明雄の感じたことを書いているブログ

機会平等と結果平等

先日、久留米大学理事の久原正治さんのお

話を、ポッドキャストで聴きました。


(ご参考→ https://goo.gl/263mtt


久原さんのお話は、次のような内容です。


すなわち、米国では、個人の行動は自分で

決めるものであるという風土がある。


そこで、その自由の裏付けである自己責任

についても重く考えられており、ルールを

破ったときの罰則も重い。


一方、日本では、個人で判断する自由は少

なく、多くのことは集団で決めるという風

土がある。


そこで、集団で規則を破るときがあって

も、個人が罰せられることは少なかった。


ところが、日本では、会社運営の仕組みに

ついて、風土の違う米国の仕組みをそのま

ま取り入れてしまったので、日本では集団

で意思決定をしているにもかかわらず、そ

れが規則違反であった場合、個人が罰せら

れるということになってしまった、という

ものです。


最近、日本の大手企業で不祥事が相次いで

表面化していますが、限定された違反者が

いたということではなく、問題のあること

についてずっと会社で引き継がれてきたと

いう例が見られます。


仮に、米国の会社で同じようなことが行わ

れようとしたら、引き継ぎが行われるとき

に、「これは規則違反だから、自分は引き

継がない」という判断をする人が多いので

はないでしょうか?


でも、日本では、規則違反があっても、そ

れについておかしいという声をあげること

は難しく、前例として踏襲されてしまいや

すい風土があります。


話を本題に戻すと、米国の会社は機会が平

等である一方で、日本の会社は結果が平等

になるような風土があると思います。


(100%そうだというわけではありませ

んが、米国と比較して、日本は結果平等な

社会だと私は考えています)


そして、機会平等と結果平等の一方が正し

くて一方が誤りということではないと思い

ます。


目指すところが何なのかということによっ

て、どちらか適しているかということも変

わってきます。


ただ、組織的な力に会社の業績が左右され

る時代にあっては、組織の構成員は個人が

責任をもって行動を決める人である方が望

ましいと私は考えています。


前述の「集団で決める」という方法は、単

なる合意形成であって、積極的な意思決定

をしているわけではありません。


また、「集団で決める」慣例が定着してし

まうと、安易に前例を踏襲し、深く考える

ことなく現状維持をしてしまうなど、思考

停止の状態に陥りやすくなります。


かといって、米国の狩猟型のような考え方

をしていただけでも、うまくいくとは限り

ません。


例えば、米国で考え出された、バランスス

コアカード(BSC)は、米国の会社が、

会計的な利益、短期的な利益の行き過ぎた

追及を反省してできた、会社経営のための

ツールです。


したがって、今回の記事の結論は、「組織

の力を高めるにはどうすればよいか」とい

ことが求められている時代においては、機

会平等と結果平等と統合した、新しい考え

方が組織と個人に求められているというこ

とです。


それでは、それを実現するためにはどうす

ればよいかということが鍵になりますが、

私自身、現在、それを明確に打ち出せない

でいます。


それを明確にするためにも、いま、研鑽を

積んでいるところです。

 

 

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